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東京家庭裁判所 昭和61年(家)1013号 審判

申立人 松山敏子

主文

本件申立てを却下する。

理由

1  申立ての要旨

(1)  申立人は、現在米国に居住しており今後米国に永住してゆく予定であるが、「敏子」という名は外国人にとつて奇妙である上、発音しにくく生活上不便である。

(2)  申立人は、年少時に両親が離婚しその後落ち着いた家庭生活を営むことができなかったが、年少時の思い出の深い「敏子」という名を使うことに耐えられない。

(3)  申立人が日本で在学していた当時、クラスに同名(としこ)の女生徒がいて間違えられることが多く、嫌な思いをした。

よつて、申立人の名「敏子」を外国人らしい「ジャネット」という名に変更する旨の許可を求める。

2  当裁判所の判断

(1)  申立人は、米国に居住しその審問をなすことができないので、申立書と申立人からの手紙によれば、申立人が「敏子」という名を嫌悪していることは認められるが、「ジャネット」という名前を永年使用しているような事情は認められない。

(2)  ところで、名は法律社会の基礎単位たる「人」の同一性を表象する機能を果すものであるから、一旦命名された名についてはこれをできるだけ変更せず呼称秩序を維持し統一性を保つことが一般社会の立場から強く要請されるところである。それ故、名を命名する場合と異なり名を変更することは法律上個人の自由に委ねず、社会通念上「正当な事由」である場合に限りこれを許すことにしたのである(戸籍法107条の2)。

(3)  そこで、本件につき申立人の主張を順次検討する。

まず、第1に、外国生活を営む場合の不便についてであるが、現在米国内において、日本人が多数居住していることは当裁判所にとつて顕著な事実であるところ、これらの者は当然戸籍上日本人名を有しながら支障なく米国内での生活を過しているものと推測され、必要に応じて外国人の呼称しやすい名前を通称として使用しているものと考えられる。したがつて、申立人が日本人として戸籍上日本人らしい名前を有していることは、米国内で生活を営む上で客観的な不都合をもたらすものではないと認められる。申立人が米国籍を取得する場合には、米国人としての名を有することとなる反面、日本国籍を離脱するわけであるから、我が国の戸籍上の名の如何は直接問題となる余地がないものと解される。したがつて、外国生活を営む上で、戸籍上日本人らしい名を有することは、通常、改名の正当事由とはならない。第2に、申立人等の個人的感情は、社会通念上やむをえない事情が認められない限り、それ自体改名の正当事由には該当しないところ、本件ではそのような事情は認められない。第3に、申立人は「敏子(としこ)」との同名者の存在を主張するけれども、現に申立人が同名者の存在によつて不都合を被つているわけではなく、一般的に日常生活に支障が生ずるほど「敏子(としこ)」という名の女性が我が国に多数居住しているわけでもないから、これも改名の正当事由に該当しない。

(4)  以上のことからすれば、申立人が過去の我が国での家庭生活と訣別するため日本人らしい名を捨てようとする心情は理解できないではないが、これはあくまでも個人的感情であつて、呼称秩序の恒常性よりも優先すべき改名の必要性があるとは認められず、本件申立ては戸籍法所定の正当事由を欠くからこれを却下することとする。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 清水節)

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